自殺、とても悲しいことです。
実は、昔、僕も同級生を自殺で失い、喪失感に。
自殺の話題は繊細なので、ブログで意見を述べることは避けるべきでしょうか。
いや、あえて触れよう。
世の中から少しでも悲しい不幸を減らしたいから。
悲しむご家族を見ていられないから。
まず、「心の風邪」である場合、周りが気づくチャンスは多いです。なんらかのシグナルが出ている。
そのときに適切な機関で「心の風邪」を治す必要があると思います。
ある程度の「心の風邪」になってしまった場合、
経験上、素人がいくら頑張ってもドツボにハマるので、専門家が必要だと思います。
ここからが本題です。
自殺の責任を「誰か」相手に問うことは、大きな副作用が生じる。
仕事のストレスからの自殺や、イジメ自殺や、強烈な政治的抗議による焼身自殺など、
それが相手への攻撃の一つと認められることで自殺を選択肢に入れる人がいます。
統計は知りませんが、自殺者の少なくない数が、間接的にでも相手へ復讐の意味も含めてしまっているのではないかと思います。
目立つような形を選ぶのはその意味もあるのかと。
自殺という選択は間違いだ、とするためには、自殺に意味を持たせてはいけないんです。
だから、大きく報道することも反対です。
僕には、大切な娘がいます。
娘が物わかりある時期になっているなら、自殺ニュースのチャンネルを変える。
いや、それじゃダメだ。
その度に話をしようと思う。
死に意味を持たせてはいけない。について。
命の大切さ。について。
みなさんも、身近な人に命の大切さを。
難しいことはない。
あなたを大切に思う。それを伝える。
そして、心から大切に思うこと。