ビリギャルの、坪田先生が高校の先生と話すシーンを観て思い出した。
俺が現役時代、同じようなことあったんだ。
いつも通り平日の昼間、俺は塾で授業の準備をしていた。
その時、(少し問題を抱えていた)生徒が泣きながら学校から飛び出して塾に来てしまった。
平日の昼間だし、少し事情を聞いて学校に戻るように伝えた。
彼女は渋ったので、一緒に学校に行った。
先生たちから目を付けられていたその生徒は頭ごなしに叱られると反発してしまうわけです。
教務主任の方と話ができた。
「なんでも厳しく叱れば良いわけではなく、この子の性格を考えて叱って欲しい。」
そして
「過去を見ずに今の彼女をみてほしい」と学校に伝えた。
相手の学校の先生は
「塾の先生というのは商売だからねぇ」と言い放った。
これに、俺はプチンと切れてしまった。
「おい、塾の先生として話をしてねぇよ」
自分の渡した名刺を返せと言って目の前で破った。
「一人の生徒が一生懸命立ち直ろうとしているから、もう少しだけ繊細に接してあげてもらえませんか。今が大切なところなんです。
先生だってそれくらい感じますでしょう?」って。
相手の先生は、少し黙ったあと、うなずいてくれた。
最後は握手して「塾でもこんなに熱い先生がいるんだね」って。
当然だ。
うちの塾は「学習塾」というカテゴリーが好きではない。
勉強だけ教えているわけではないから。
勉強はたまたま必要だから教えているだけ。
勉強、受験を通して、生徒に伝えているのは
「なぜ頑張るか、なぜ学ぶか、どう生きるか」
ひとりひとりの生徒を何よりも大切にしている。
それが落ちこぼれとレッテルを貼られた生徒でも、偏差値70以上の生徒会長でも、上下の差は無い。
あの時は学校サボったり先生に反発していた、この生徒が、今は自分なりの夢を持ち、いきいきと頑張っていると聞く。
うれしい限りだ。
↑昔の文章ですけど、これがうちの教育学習塾グループの原点だなぁ。
それを忘れたら「普通の塾」になってしまう。
それでは俺たちが塾をやる意味がない。