リクエストありがとうございます。
前回の自分のことの補足で、高校時代はどうだったんだ。
こんな事件もあった、高校時代ですが。
まず、入学してすぐの実力テストで学年1位をとりました。
中学時代、エイメイの先生に「川越高校に余裕で合格できるレベルのお前が、朝霞高校に行きたいと言う。いいと思うぜ。でも、それで油断して学力が落ちていったらかっこ悪いぜ、学年1位でいろよな」
そんな約束をしたので頑張ろうと思っていました。
さらに、この頃から教員になる夢がジワジワと大きくなってきました。
残念ながら学校の先生に憧れはなかったです。
「エイメイの先生みたいな人が学校にいたら、もっと子どもたちは熱くなるし、学校が楽しくなるはず」が原点ですね。
ちょっと話がそれますけど、そのまま現役で埼玉大学へ進み小・中・高の教員免許もとったんですけど、採用試験は受けませんでした。
一言でいうと、公教育の限界を感じ、古くて重い学校という組織に、自分の人生を捧げる気になれなかったんですよね。
エイメイに就職しちゃいましたね。その後、法人化して代表になり、校舎が増え始めるのですが。。。。どっかでブログに書いたかな。
さて、話をもどして、
高校時代、そもそもハンドボールがやりたくて朝霞高校に行ったので、部活にどっぷりでしたね。
しかし、家が貧乏だったので、アルバイトの許可をとってバイトもやっていました。
大変でしたね。
部活が6時まで。ヘトヘトなのに、走ってそのままバイト先へ。22時まで目一杯稼いで、帰宅。倒れるように毎日寝ていましたね。
自分の希望でこの学校にしたんだから、どれも中途半端にはしたくなかったですね。
テスト前はバイトを休んでそこで一気に勉強。
普段なんて、部活とバイトで1分も勉強できませんよ。
「大変な学生生活でしたねー」
と言われますが、
まぁ、楽ではなかったですけど、これが当たり前だと最初から思っていたので。
環境に恨み節を言っても何も変わらないし、自分の人生なんで、自分で切り開いていこうと覚悟していましたね。
別にすごい意志の強さがあったとか、特別な才能を持っていたわけではありません。
できますよ、こんな程度は。
若ければ体力もありますし。
結局ね、限界なんて自分が決めるんですよ。
スタンスです。
逆に、友人で、学校が大変だと休みがちになり中退してしまった人もいました。
周りの責任にして逃げるか、受け入れて、自分でできることをやっていくか、っていうスタンスが差になるんじゃないかな、と思います。
受験勉強については今度!
もう一つ。「どうやったらそんな子に育ちますか?」
ですね。これは母親にインタビューでもしてみますか!(^^)笑