「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
とは、福澤諭吉先生が言った言葉だが、
これは「人は皆平等だよ」
と言いたいわけではない。
学問のすすめを読めばわかるが、
「人ってさぁ、生まれながらに差はないはずじゃん。なのにさー、世の中見てみると、なーんでこんなに差が出てんのかってことよ。気になる?それはね、「学び」の差なんだよねー」
byふくざわゆきち。
そんな感じです。笑
まぁ、150年くらい前に書かれた本ですからね。
「学ぶ」ということを今風に置き換えてみると、「努力」といっていいのではないでしょうか。
まぁ、私もこの世の中を見ていて思うことがあるんですよね。
大人になると、仕事や私生活において、多かれ少なかれ「差」が確かにある。
上下の差を言い、優劣を言いたいわけではない。
現実にある「差」のことだ。
これをいうと、人を差別してるだの、上から目線だの、おめーはどの程度の人間なんだ、だの言われるが、
そうやって「言ってはいけない」ことを増やすから、良くなれるものも良くならない世の中になってしまう。
さて、話を戻そう。
大人になると広がる「差」は
皆が気にする(俺は気にならない)代表的なもので「年収」とか
仕事の能力とか、
人としての魅力とか、
そこに、たしかに「差」はある。
さて、それではその差がどこで、どうやって生じるかというと、
日々の努力だ。
意識せず努力している人も多い。
何かに向けて、時間と労力を注ぐことが「努力」というならば
すべてに努力は必要。
(努力すればなんでも実現可能とまでは言いませんよ)
格差社会とは、
「努力格差」
の問題なんですよね。