9年前の2010年。わたくしは28歳でしたか。
【鶴瀬】に塾の新規校舎を出しました。
ほとんどの人からは反対をされました。
みずほ台だけで順調なんだから、競争が激しくて失敗確率が高い鶴瀬に塾を出すなんてやめておきなよ。と。
皆が、心配してくれるのは嬉しいが僕にはそれ以上に熱い想い、使命感があった。
うちの塾の先生たちは、みんな応援してくれた。
嬉しかった。
社長なのに改めて素敵な会社だなと思った。
初めて銀行に行き、融資のお願いをして、
工事業者とか看板業者とやりとりをして、
不動産契約も。
何もかも初めてだった。
夢が膨らみ、希望に満ちていた、、、 と言いたいところだが、
契約が進んで、大金が動き始めたときに、すべて恐怖に変わった。
工事の業者が、コンクリートに木枠を打ち込んでいるのを見ていて、もう戻れない。と、
本当に足が震えたのを覚えている。
失敗したらどうしよう。
この広いスペースに生徒が集まってくれるのだろうか。
不安で押しつぶされないように、がむしゃらに働くことで誤魔化していた。
夜中の2時。
予算に限りがあったので、ペンキを自分で塗った。先生たちも手伝ってくれた。
みずほ台で授業を終えた後、ヘトヘトではあったけれど、やるしかなかった。
夜が明け、朝、片付けをしていたら、卒業生が通りかかった。
「先生!エイメイ、鶴瀬にもできるの??すごい!」
と言って、片付け、掃除を手伝ってくれた。
「応援してるから!」
その声がどんなに励みになったか。
鶴瀬校は、嬉しいことにスタート時には50名以上の生徒が集まり、好調なスタートではあったが、嬉しい悲鳴で、生徒50人分の先生が足りない状態だった。
生徒数が多いのに、クラスを増やすこともできずに生徒たちには迷惑をかけたのかもしれない。
もし悪い評判が拡がれば取り返しの付かないことになる。
生徒が集まらないで苦しむわけではなく、真逆の試練を与えられたわけだ。
さらに、その一週間後の3月11日。大震災が起きた。
50人が全員無料体験という不安定な時期に、完璧な状態で勝負ができないのは苦しかった。
でも、いつでもそうだ。
いつでも完璧な状態での勝負なんてありえない。
今ある力で、目の前の壁を全力で突破するしかないんだ。と覚悟した。
鶴瀬校は、たった1年で生徒数100名を超え、卒業生を数百人送り出している。
成功の秘訣なんて、そんな大それたことは言わないけど、
とにかく、目の前の事を、一つひとつ一生懸命やってきただけ。
これは仲間たちの協力があってこそだ。
あー、今や仲間も70人を超えた。
会社の規模も10倍になったなぁ。
感慨深い。
そして挑戦は今後も続く。
我が社は健全な発展をしていく。
もちろん。
目の前の一つひとつのことを一生懸命やっていくだけだ。